第1章
絵里視点
目に突き刺さるような蛍光灯の光の下、私は椅子の肘掛けを指の関節が白くなるほど強く握りしめ、佐藤先生が検査結果の書類をめくるのを見ていた。
『お願い、何かの間違いだと言って』
「膵臓癌のステージ4です」
世界から音が消えた。
診断書が手の中で震える。そこに並ぶ医療用語が、私の死刑宣告を綴っていた。余命、六ヶ月。たった六ヶ月しか残されていない。
涙で視界が瞬く間に滲み、胸が締め付けられるように苦しい。たった二十八年の人生が、こんな紙切れ一枚で終わるっていうの?
「そんな……嘘よ……昨日まで、クリスマスの旅行の計画を立てていたのに……」
「すぐにでもご家族に連絡されることをお勧めします、五条さん。支えが必要になりますから」と、佐藤は優しく言った。
私は乾いた笑いを漏らし、涙が診断書の上に落ちた。「家族、ですか?先生、私には電話をかける相手すらいないんですよ」
ピロン――
携帯が鳴った。インスタグラムの通知が、まるで平手打ちのように私の顔を打った。
@五条和也が新しい投稿をしました
震える手でそれを開く。その画像はナイフのように私の心を切り裂いた。南の島の青い空の下、和也が見知らぬ若い女と体を寄せ合い、満面の笑みでカップルヨガをしていた。
梨乃。あの二十五歳のトラベルブロガーだ。
キャプションにはこうある。「最高の冒険仲間を見つけた❤️ #恵まれた人生 #南の島バイブス」
息ができない。胸が激しく上下する。私が死の宣告を受けたその日に、夫は八千マイルも離れた場所で、情事を見せつけていた。
「どうして……どうしてこんなことするの……」私は冷たい診察台に突っ伏し、泣きじゃくった。
家は、不気味なほど静まり返っていた。私は涙でぐっしょり濡れた診断書をまだ握りしめたまま、ソファに崩れ落ちた。
『和也に伝えなきゃ。彼が何をしているにせよ、私が死ぬってことを知る権利はあるはず』
マックブックを開き、私たちが運営するインスタグラムのビジネスアカウントにログインしようとした。ゼロから育て上げたアカウントだ。パスワードも、マーケティング戦略も、すべて私が覚えている。
パスワードが違います。
もう一度試す。
パスワードが違います。
アカウントはロックされました。
「このクソ野郎……」私の声が、誰もいない家の中に虚しく響いた。
浮気しただけじゃなかった。私たちが一緒に築き上げたデジタル帝国から、私を追い出したのだ!
まるで骨を抜き取られたかのように、椅子にへたり込んだ。この裏切りは、癌の告知よりも深く心を抉った。
受信トレイに、法律事務所からのメールが入っていた。タイムスタンプは三時間前、ちょうど私が診断を受けていた時間だ。
『拝啓 五条絵里氏 当方は五条和也氏の代理人として、悪質な電話、脅迫的なメッセージ、中傷的なソーシャルメディアへの投稿を含む、一切のハラスメント行為を中止するよう正式に通知いたします。ハラスメント行為が継続する場合、接近禁止命令を申し立てることになります』
「ハラスメント」という言葉を呆然と見つめた。夫に自分が死ぬと伝えようとすることが、ハラスメント?
お腹が鳴った。これから化学療法を始めるこの体に入れるため、出前を頼もうとクレジットカードを取り出した。
取引は拒否されました。
決済に失敗しました。
プラチナカードさえも凍結されていた。
「十年間の結婚生活って、こんな風に終わるのね」私はかすれた声で呟いた。
夜になった。私はワッツアップの和也のプロフィール写真をじっと見つめていた、まだ私たちが永遠を信じていた頃の写真だ。
『これが最後。この最後の旅路に、彼は戻ってきてくれるかもしれない』
十分間も画面の上で指を彷徨わせた後、ようやく通話ボタンを押した。
インドネシア時間で午後三時。繋がった瞬間、南の島の波の音と、梨乃の吐き気がするほど甘ったるい笑い声が聞こえてきた。
「こんな時間に誰からぁ?」
「仕事だよ」和也はそう言うと、不機嫌そうに電話口で言った。「絵里か?仕事中だ。邪魔しないでくれ」
「大事な話が.......」私の声は震えていた。
「またかよ。なあ、絵里、もういい加減にしてくれ!弁護士からもはっきり言われただろ?」
背景で梨乃が笑う声がする。「またあの頭のおかしい元嫁?」
その言葉は、ハンマーで殴られたような衝撃だった。頭のおかしい元嫁?十年間の結婚生活が、その一言で片付けられてしまうの?
私は携帯をさらに強く握りしめ、爪が手のひらに食い込んだ。
「離婚しましょう」私は冷たく言い放った。
「好きにしろよ。でも俺の金は期待するな」彼はぞんざいに言った。「このビジネスは俺のものだ。お前には何の関係もない」
何の関係もない?
世界中から嘲笑されているような気がした。私の青春も、献身も、愛情も、すべてが笑い話だったんだ。
梨乃が背景で甘えた声を出す。「もう切ってよ!マッサージ師さんが来たわ、スパの時間よ~」
「じゃあな、こっちは忙しいんだ」
通話は切れた。
ソファに崩れ落ち、見捨てられた子供のように体を丸めた。涙は止まらず、痛みで呼吸もままならなかった。
翌日の夜、私は車を走らせて海岸の町へ向かった。
太平洋岸沿いのハイウェイを潮風が吹き抜け、夕日に照らされた海が煌めいていた。和也が十年間の結婚生活を捨ててまで選んだのが、一体どんな女なのか。それを確かめなければならなかった。
梨乃の海沿いのアパートは崖の上に佇み、豪華に飾り付けられていた。明らかに和也の新しい投資物件だ。
私はインターホンを鳴らした。
梨乃は明らかに驚いていた。シルクのパジャマ姿で、コーヒーカップを手に持ち、その顔には恐怖がよぎった。
「ここで何してるの?来るべき場所じゃないわ!」
「おめでとう」私はにこやかに微笑んだ。「もうすぐ私の人生、引き継ぐことになるから」
「どういう意味?」梨乃は警戒するように私を見た。
「祝福よ」私はリビングに足を踏み入れ、この百万ドルの愛の巣を見渡した。「いい場所ね。夫のお金で飾ったのかしら?」
「和也は別れたって言ってたわ!」梨乃の声は震えていた。
「ええ、だからおめでとう。もうすぐあなたは和也の唯一の女になる」
私はこの二十五歳の女を観察した。美しく、若い。和也が彼女を選んだ理由が、ふと分かった気がした。若くて魅力的な女の子を好まない男なんていないだろう?
「楽しんで、お嬢さん」私はドアに向き直った。「でも覚えておいて、私もかつては、全く同じあなたの場所にいたのよ」
「待って!」梨乃は挑戦的に声を上げた。「あなたに同情でもするとでも思った?和也から聞いたわ。あなたは執着心が強くて、何でも支配しようとするサイコだって」
私はゆっくりと振り返り、この若く美しい女と向き合った。
「あなたは年増で退屈、ベッドでも情熱がないって。私と一緒にいる時こそ、本当の幸せと自由を感じるって言ってたわ」梨乃の口元が、得意げな笑みに歪んだ。
視界が、驚くほどクリアになった。
「私が若くて綺麗だからって嫉妬してるんでしょうけど.......」
バチン!
鋭い音がリビングに響き渡った。梨乃は顔を覆い、信じられないというように目を見開いた。
「あな……た、私を叩いたの?」
「ええ」私はじんじんする手を振りながら言った。「恥知らずな雌犬を叩いただけよ」
私は一歩近づき、彼女の顔に赤く浮かんだ手形を見つめ、久しく忘れていた満足感を覚えた。
「よく聞きなさい、何かを盗んだとでも思ってる?あなたが盗んだのは、浮気性のクソ野郎よ」
梨乃の目に涙が浮かんだが、私は一切の情けをかけなかった。
「若くて美しい、ですって?」私は彼女を鼻で笑った。「私もそうだったわ、しかももっと長い間ね。でも、女を本当に美しくするものが何か知ってる?品格よ」
私はドアに向かった。「盗んだ男がいかに価値のないものか、あなたもすぐに知ることになるわ。幸運を祈る、必要になるでしょうからね」
その夜、和也は先端区に飛んで帰ってきた。
彼は怒り狂って飛び込んできた。「お前、気でも狂ったのか?梨乃のところで何をした?彼女を叩いたんだってな?」
私はダイニングテーブルに座り、目の前には離婚合意書を置いていた。
「二人を祝福してあげたのよ。それから、あのビッチを教育してあげた」
「何の真似だ?」和也は目を燃え上がらせて近づいてきた。「狂ったフリをすれば、何かが解決するとでも思ってるのか?」
私は立ち上がり、離婚合意書を彼の方へ押しやった。「ゲームじゃないわ、ただ、これを終わらせるだけ」
和也はそれをつかみ、顔を青ざめさせた。「ふざけてるのか?家も、会社の株も、ソーシャルメディアのアカウントも――全部よこせって言うのか?」
「ええ」私はかつて崇拝していた男を、冷静に見つめて言った。「全部、いただくわ」
「なんだと?」彼の声がリビング中に轟いた。「気は確かか!あのファンは俺目当てでいるんだぞ!」
「本当に?」私はゴミ箱に歩み寄り、和也が十年前にくれたテディベアを拾い上げた。「フォロワーが千人しかいなかった時、あのアカウントを管理してたのは誰?コピーを書いてたのは?夜中の三時まで起きて、コメントに返信してたのは誰?」
私はテディベアの毛を撫でた。美しい思い出が、ナイフのように心を切り裂く。
「あなたの信用情報がクソだったから、自分の名義で会社を登記したのは誰?両親の遺産でこの家を買ったのは誰?」
「それは話が別だ!このブランドは俺自身なんだ!俺が顔なんだぞ.......」
「じゃあ、そのお顔でゼロからやり直せばいいじゃない」私はテディベアをゴミ箱に投げ捨てた。「あなたの帝国を築いた絵里は?もう死んだのよ」
和也はゴミ箱の中のテディベアを、困惑と不安の入り混じった表情で見つめていた。
「変わったな、絵里。お前はそんな人間じゃなかった。言い返したりなんて……」
「言い返す?」私は笑った。「そうね。昔の絵里ならしなかった。彼女はただ与えて、与え続けて、何も残らなくなるまでそうしてた」
私は窓辺へ歩み寄り、遠い星のように瞬く技谷の灯りを見つめた。
「でもね、和也、本当に可笑しいことがあるの」私は彼にまっすぐ向き直った。「もう、あなたを憎んでいる時間すらないのよ」








